[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
人間が2人以上集まって暮らす場所には、
必ず共同生活のための何らかの約束事、
ルールが発生します。
人間は1人では生きていけません。
ゆえに、人間のいるところどこにでも、
みんなで守るべき規則があり、
掟があることになります。
ここ、明るいJ村でも事情は同じ。
いくつかご紹介をさせていただきます、
たとえばこちら。
比較的、オーソドックスなルール、
おそらく世界中の全ての村々で通用する決めごとですね。
はい、喫煙とゴミ出しのマナーは守りましょう。
ちょっと変わったところでは、
こういうのもあります。
村に通じる1本道の
入口のところには鉄の柵があって、
このような札がかかっています。
J村、内気な方がほとんどなもので、
何卒ご容赦くださいませ。
えーと、これはちょっと説明がいるかもしれません。
村には「滝野川」という地名が残っているくらいで、
古くはたくさんの滝があちこちにありました。
今ではすっかりその数も減りましたが、
名主の滝公園の中など、いつくかは現存しており、
http://www.city.kita.tokyo.jp/misc/kanko/data/a/5.html
中でも有名なのは、
村の中央公園にある滝、こちらです。
ベネズエラのエンジェルフォールと同じ、
世界一の落差978mを誇っています。
写真の立て札は、
公園で遊ぶ村の子どもたちに
厳重な注意を促してるわけです。
それから、これ。
そうですね、麻生さん、
いくらなんでもそんなところで寝ていたら、
風邪をひいてしまいます。
これからの季節、
熱帯夜が続くこともあるでしょうが、
せめてお腹だけは冷やさないよう注意しなくてはいけません。
村には、まだまだ他にもたくさん掟はあるのですが、
切りがないので最後に1つだけ、こちらです。
・・・はい、がんばります。(汗)
(※この日記は、一部フィクションを含みます)
今日6月30日と明日7月1日は、
J村最大の縁日「お冨士さん」の日。
「お冨士さん」とは・・・
J村には「冨士神社」というのがございまして、
ここには、江戸以降盛んになった、
富士山を信仰の対象にする民間信仰団体
「冨士講」の「塚」があります。
塚は、本物の富士山に模した、
ご近所版ミニチュア富士山です、
高さは5~6mといったところでしょうか。
ちなみに都内には、
他にもたくさんのミニ富士山、
冨士塚があるんですが・・・
J村の冨士塚、もとは古墳。
江戸の中期、18世紀の中頃までに、
古墳の上に溶岩をのっけたり頂上を削ったりして、
冨士塚の形に整えられたようです。
毎年7月1日の富士山の山開きに合わせて、
前日の6月30日と当日の7月1日に縁日があって、
J村銀座商店街の中ほどから東に向かって、
冨士神社まで続く道沿いに露店がびっしりと並びます。
この縁日が、
冨士神社の名称にちなんで
「お冨士さん」と呼ばれているわけです。
地元村民や近隣の住民のみならず、
J村に暮らしたことがある人たちも
懐かしがって大勢集まってくるそうで、
平成の世になった今も、老若男女の別を問わず、
大変な人出があって毎年芋を洗うようです。
綿飴、たこやき、お好み焼き、カキ氷、
杏飴、焼きとうもろこし、焼きイカ、焼肉、ベビーカステラ、
射的、金魚すくい、ヨーヨーすくい、はっかパイプ、
くじ引き、型抜き、お面屋さん、などなど…
屋台をひやかしながらゆっくり進み、
冨士塚に登ってお参りし、
来たときと反対側の沿道を商店街まで引き帰すと
たっぷり1時間以上はかかるはず。
片道約400m、往復で800m近い一大露店パーティー。
縁日好きな方にはたまらないかもしれません、
今夜、J村役場の職員3名も足を運んでみる予定、楽しみです。
*
さて。
つい先日、冨士神社まで散歩をしたときのこと。
「富士山の麓」に2体の像を発見しました。
棕櫚の葉が邪魔になって、
適当な角度から撮影できず残念だったのですが、
手前が大黒さま、
その向こうにちらりと見えているのが布袋さま。
どなたかが寄進したんでしょう、
お2人ともおめでたい方、嬉しいですね。
ところが・・・
大変におめでたくて結構なんですが、
何かがひっかかる。
その場ですぐに思い出しました、
実は去年の秋、
同じ場所で、私、写真を撮っていたんです。
それがこちら。
半年ちょっと前には、
布袋さまお1人だったんです。
もしかすると・・・
これからあと5年をかけて、
J村の富士山の麓には七福神が勢ぞろいすることに
なるかもしれませんね。
ながーい目で見守っていきたいと思います。
*************************************************
★本日(2009/6/30)のトップ画面は、
昨年の「お冨士さん」のときの写真を使ってみました。
武蔵野台地の北東端に位置する、明るいJ村の一部。
東京の低地にまで海が入り込んでいた6,000年くらい前も、
人が暮らしていたようです。
縄文、弥生、古墳時代・・・
かつての集落やお墓や貝塚や、
人々の暮らしの痕跡が、
村の中にはたくさん残っています。
つい先日も、
台地の崖に横穴を掘って死者を埋葬した、
「横穴墓(おうけつぼ)」がまた1つ発見されました。
時代は6世紀頃。
2mの穴の高さは、
他の横穴墓でもよく見られるごく普通のサイズ。
15mの横幅と20mの奥行、これが異例の大きさでした。
大きさだけでも、
考古学的にはちょっとしたニュースだったのですが、
専門家たちをさらに驚かせたのは、
発見された天井画、こちらです。
描かれているのは、
何らかの神事に関わる
「相撲」に似た闘争の儀礼の様子。
画面の中心では
「金」の文字の入った腹がけをした男児とクマが
ぶつかり合っています。
行司役と思われる動物・ウサギや、
観戦する動物たちがその周りに配されています。
「え?!この時代の日本にこんな動物が・・・」
「眉毛の有無には、
何か象徴的な意味があるのだろうか・・・」
「・・・き、金太郎?」
素人目に見ても、疑問は尽きないわけですが、
最大の謎は、やはりこの動物。
いくつかの動物のイメージが
掛け合わされたんでしょうか、
当時の日本人の神話的な思考を垣間見させる
実に不思議な存在。
全国的に見ても、
これまでの記録に一切登場しない図像ということで、
専門家たちも、
どこから考えればいいのか手がかりさえつかめず、
頭を抱えているとのこと。
拡大してみましょう。
謎は深まるばかりです。
(※この物語はフィクションです ^^;)
梅雨入りをしたJ村。
カメラを持って歩いてみました。
バス通り沿いの街路樹の、根元に咲いた紫陽花。
厚い雲に力を削がれた陽の光の下、
風景の中に鮮やかさを取り戻そうと奮闘するも、
多勢に無勢、旗色の悪さは否めません。
駅前のビワの木の実のオレンジ色も、
心なしかくすんで見えます。
最近できたばかりの立ち飲み屋の、
看板のかえるたちだけは、何やら嬉しそう。
しかし、あれですね。
こうして歩いてみると、
ついひと月ほど前には
本当に明るく輝いていた木々の緑が、
随分と濃くなってます。
そして、蔦はいつの間にか村を覆い。
覆い。
古い家々の、シワの寄った顔は、
ひと雨ごとに夏のヒゲの中に埋もれていきます。
━━━━━━━━━━━
領 収 書
毎度有り難うございます
━━━━━━━━━━━
創業昭和3年(1928年)
十条駅前
斎藤酒場
TEL03(3906)6424
2009/06/13(土)
01**
+ ¥3,560
┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄
現計 ¥3,560
品数 1.
扱 02 000045
**********************
上記領収書の下から2行目に記載のある
「品数1.」の内訳は以下の通り。
・冷やしビール大瓶×2本
・泡盛×コップ2杯
・コカコーラ小瓶×1本
・ポテトサラダ×1皿
・カレーコロッケ×3ヶ(1.5皿)
・たこぶつ×1皿
・もつ煮込み×1皿
・冷奴×1皿
・谷中しょうが×1皿
※人数3名・お通し:落花生
滞留時間約2時間
安いよね・・・