明るいJ村の村民であり
古い友人でもある男から、
イベントの知らせが届いた。
「十条 ウィークエンド ビブリオ カフェ」。
会場は村内のカフェ、
FINDさん。
日時は2015年3月28日(土)、
11時半から18時くらいまで。
これがイベントのチラシだ。
イベントの企画の背景と意図を記した、
彼のフェイスブックの記事を
下記に引用しておく。
いささか長く、
チラシの中身とダブる部分もあるが、
ぜひご一読をいただきたい。
***********************(引用開始)
【「公(おおやけ)」を手作りする】
「社会デザイン研究者」の
「第三の消費社会」と呼んだ
1975年から2004年までの日本で、
「消費」は極限まで「個人化」した。
たとえばそれは、
テレビが一家に一台ではなく、
一人に一台になった時代であり、
ダイニングルームに鎮座まします
重厚なオーディオセットではなく、
ウォークマンが売れまくった時代だった。
「自分らしさ」の確立を目指して、
人々は自分の個性を彩ってくれる商品を
血眼になって探しまくり、私有した。
それはある意味不毛で果てしのない
「自分探し」の時代でもあった。
そうした時代の流れに
手放しでコミット
していたわけではないけれど。
というか、
むしろ個人的には
積極的に背を向けてきたような
わけだけれど、(笑)
10代から30代を通じて
この時代をリアルタイムで
生きた身からすると、
三浦さんのこの分析はとても実感が湧く。
そして2005年に幕開けし
2034年まで続く「第四の消費社会」では、
①個人志向は社会志向へ(「私」から「公」へ)
②利己主義は利他主義へ
③私有主義はシェア主義へ
④ブランド志向はシンプル・カジュアル志向へ
⑤欧米志向・都会志向・自分らしさ志向は日本志向・地方志向へ
⑥「物」の重視は「人」の重視へ
と時代の振り子は
大きくゆれることになるとのこと。
本書のアマゾンレビューなどを見ていると、
データの用い方や論の展開の仕方などに
マイナス評価を下している方もいるようだ。
けれどもこの本は、
大まかな世代や時代ごとの幸福観と、
それと切り離すことのできない
市井の人々の希望(ニーズ)の本質を
大づかみに把握・共有し、
生産者・消費者の双方にとって
実のある次の一手を構想するための
とても便利なツールになると思う。
実際、三浦さんが第四の消費社会の基調をなす
傾向性として析出した、
上記6本の変化のベクトルをじっと見ていると、
「なるほど、
あれはそういうことだったのか……」
と肯きたくなるような具体例が
いくつも思い浮かんでくるし、
それぞれの例が、
まるで欠けていた
パズルのピースを埋めるようにして、
大きな1つの絵の中に
パチンぱちんとハマっていく快感がある。
どうだろう。
みなさんはどんな風に感じるだろうか?
*
『第四の消費』の中にも登場する、
「日常編集家」の
アサダワタルさん。
彼が提出した「住み開き(すみびらき)」
という言葉がある。
アサダさんの著書によれば、
住み開きの典型例では、
個人宅をちょっとだけ開放して、
そこに人(他人)を招き入れることになる。
招き入れて、
たとえば短期間の寝泊りをさせてあげたり、
絵や工芸作品の個展、音楽会、
講演会などなど
様々なイベントを開催したりする。
すると……
「小さなコミュニティが生まれ、
自分の仕事や趣味の活動が
他者へと自然にかつ確実に
共有されていくのだ。
そこでは無論、金(かね)の縁ではなく、
血縁でもなく、もはや地縁でも会社の縁でもない、
それらが有機的に絡み合う
『第三の縁』が結ばれるのだ」
犠牲にするというのではなく、
無理せず少しだけ開くことによって、
新しい人のつながりを
生むための土俵を作ること。
ちょっとした家具やスペースを
週末にDIYでこしらえるようにして、
自前の「公(おおやけ)」を手作りする試み。
それが「住み開き」だ。
*
3月28日(土)に、
肩の凝らない
ちょっとしたイベントやろうと思っている。
アサダさんが
著作の中でレポートしてくれた
様々な興味深い事例たちと
今回のイベントは完全には重ならないけれど、
着想の根っこのあたりを掘っていくと、
たぶん住み開きを生んだのと
同じスピリットにぶつかるはずだ。
そしてその下には、
三浦さんが見つけ出した
時代の変化のベクトルの1つ、
「個人志向から社会志向へ
(「私」から「公」へ)」が
横たわっていることだろう。
概要がまとまったら、またここで発表します。
ピンと来たら、
ぜひ遊びに来てくださいまし。……
***********************(引用終り)
昔のJ村の家々の軒下には
けっこう「縁側」があった。
縁側で私生活は外に向けて開かれ、
そこは茶飲み話や井戸端会議や夕涼みなどなど、
「人様・世間様」との交わりの舞台となった。
時代の流れと共に、
外と隔絶したプライベート空間に
いつの間にか引きこもり切っていた私たちは、
消えてしまった縁側を
心のどこかで求めていたのかもしれない。
そして私たちは、
やはり時代の流れと共に、
ネットやソーシャルメディアなど
今風の道具立てを使って、
目には見えない縁側のようなものを、
それとは知らずに
せっせと作り直していたのかもしれない。
友人の企画したイベントもまた、
そんな見えない縁側に
新しい具体的な形を与えようとする
試みの1つだろう。
このブログで断続的に報告してきた活動が、
果たそうとして果たせなかった何かが
そこにはあるような気がする。
幸い当日は今のところ他に予定もないので、
私たち役場職員一同も
遊びに行ってみようと思う。
さてさて。
どんな土曜日になるのか、な……
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