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村を流れる音無川(石神井川)沿いを歩いてると、
よく不思議に思うことがありました。
川床の様子です。
つい最近、
天気の良い午後に川沿いを散歩していた時も、
水が比較的澄んでいたためよく見えました、
ご覧ください、こちらです。
人工的に整備されている川床の合間に、
時々むき出しの自然の力を感じさせる
こんな場所があるんです。
長い時間をかけて浸食されたように見える岩盤には、
水流の有機的な曲線がトレースされています。
岩の上に残された
なめらかな曲線は複雑ですが、
動かしがたい秩序の存在を暗示するかのようで。
それから、よく見ると、
岩盤の表面に小さな穴がぽこぽこと開いてます。
何らかの水生生物の痕跡でしょうか・・・
いい機会だと思い、
ネット上でいろいろ検索してみたところ、
こちらのホームページにぶつかりました。
http://www.geocities.jp/horiuchihiroe/tishitu/2005_1_23tokyo.html
明るいJ村も乗っかっているこの星は、
万年単位の長い長い時間をかけて、
全体的に寒暖のサイクルを繰り返しています。
寒くなると氷が増えて海の水位は下がり、
暖かくなると氷が溶けて海の水位は上がることになり、
音無川の底に見えている不思議な川床は、
なんと18万年前、
水位が上がってこのあたりまで海が来ていた頃の
海底の地層=「東京層」なのだそうで。
表面に見える小さな穴は
「アナジャコ」の巣穴とのこと。
↓↓↓↓↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B3
別の方のブログによれば↓、
http://ch08180.kitaguni.tv/e296238.html
「東京層」は12~13万年前の
「下末吉海進(しもすえよしかいしん)」によって
形成されたとのこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9C%AB%E5%90%89%E6%B5%B7%E9%80%B2
いずれにしても10万年以上前の恐ろしく昔のこと。
ちなみに「海進」とは海の水位が上がって
それまで陸地だった場所まで
海が入り込んでくる現象のこと。
起こった時代によって
たとえば「下末吉」海進というように、
「★★」海進と呼称が変わるようで。
昔々・・・
この東京層が人間の目に触れることは
恐らくなかったでしょうし、
太古の魚たちや、アナジャコの目だけが、
じっとその様子を見つめていたのでしょう。
そして、今。
古い海底の上には、ぷかぷかとカモたちが浮かび。
毎年、桜が咲いています。
「時」という概念すら知らずに。
一から学び直したい気持ちになりました。
3年前のちょうど今頃。
明るいJ村が雑誌に取り上げられたことがありました。
『散歩の達人』(交通新聞社)、
通称「サンタツ」の2007年4月号です。
この号、地元村民の目から見ても完成度が高く、
なおかつ編集の視点も多様、
スクラップブック的・雑誌的・誌名の通り「散歩的」な愉快に溢れた
仕上がりになっており、
今でも時々ぱらぱらとめくっては
楽しませていただいています。
出版元のホームページによれば、
残念ながらバックナンバーは売り切れとのことですが、
こちらのネット書店さんで
ユーズド商品は入手可能なようです。
http://www.amazon.co.jp/dp/B000NVHX88/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1268690390&sr=1-1
さて、3年前のこの「サンタツ」4月号には、
さとうみゆきさんの手による
J村の商店街の大変素晴らしいイラストマップも
掲載されています。
全部で3頁あるんですが一部をご紹介しましょう、
こちらです。
村に暮らしていても、
「ほーーそうだったんだ・・・」
というお話もあって、とてもためになっております。
(さとうさん、ありがとうございますっ)
なお、マップの誌面右上で解説されている、
讃岐うどんの人気店「すみた」さんは、
もうここにはありません。
去年の3月にお隣のA村に引っ越しています、念のため。
ホームページはこちら。↓
http://www5a.biglobe.ne.jp/~juan/89996337/
それからもう1つ。
マップの誌面右下で、
さとうさんと思しき人物が
こちらに背を向けてビクッとしている物件ですが、
先日写真を撮影してきました。
ご覧の通り、物件は健在です。
変わることなく、
18の虚ろな瞳をヒタと通りの方へ向け続けており、
初めてここを訪れた人の中には、
やはりビクッとされている方もいらっしゃるはずです。
・・・私もたまにビクッとしてます、油断しているときとか。
J村の富士見銀座商店街は、
J村銀座商店街のアーケードを北へ抜け、
信号を渡って道路を横切ったあたりから、
さらに北へ埼京線とほぼ並行しながら
環状七号線にぶつかるところまでのびている。
J村銀座商店街よりも道幅は狭い、
北へ行くに従って軽い上り坂になっている。
アーケードはない。
こちらの日記で触れた、
http://akaruij.blog.shinobi.jp/Entry/114/
カウンター・バーのアルビオンは
その商店街の南の入口あたりにある。
そして、アルビオンを背にし、
さらに北へてくてく歩いていくと、
この店、中華の「玉屋」さんがある。
写真の撮影は去年の2月、
店の前をいったん南から北へ向かって通り過ぎ、
振り返るアングルから撮っているので
通りの左手にあるように見えるが、
南から歩いて行った時、
実際は通りの右手に見えてくる。
なぜか石垣風の壁、
味わい深い木枠の窓ガラスに扉。
微妙なメニューの表記や
鄧小平氏の晩飯(「ばんめし」と読んでいいんだろうか?)が
担々めんだったという、
およそ真偽のほどがよくわからぬ指摘など、
明るいJ村役場職員としては
前を通りかかる度に大変に惹かれているわけなのだが、
まだ入店したことがない。
なぜなんだろう?
自分でもよく分からない、
こんど時間のあるときに
じっくりと考察してみようと思う。
もしかすると、
幼少期のマガマガシイ記憶と
何か関係があるかもしれない。
ま、それはそれとして・・・
実はこの玉屋さんの店先で、
去年の暮れあたりから
何とも気になりだしたことがある。
こちらである。
分かり難いだろうか?
この方である。
写真は去年の3月に撮影したもの、
時々こんな風に鉢植えの後ろに佇んでいたりして
あまり目立っていなかった。
ところが今年の暮れにはこのような姿に。
首からかけられた札は、
こちらのプレートを流用加工したものだろう。
ううむ。
ただ、どうなんだろう。
半ば無理やり積極的なポーズを強要され、
店の出入り口前の、
客引き応対最前線とも言える場所にすえられながら、
この控え目さ、この存在感の無さというものは。
私が気になっていたのは、
まさにこのことだったのだ。
玉屋さん側の意図や狙いは分かる。
しかし、誰にでも向き不向きというものがあろうし、
少なくともこの人事、
適材適所とは言えないのではあるまいか。
そんな屈託が生まれ、
昨年の暮れからこっち、
玉屋さんの前を通るたびに
やり場の無いもやもやを抱え込むことになったのである。
ところが・・・
つい先日のこと、
私は自分の考えの浅はかさ、
視野の狭さを思い知らされることになった。
これをご覧いただきたい。
見よ、この雄姿。
「ギャップが魅力に・・・」
「何事もメリハリが肝心・・・」
そんな言葉たちが脳裏に浮かんではこないだろうか。
あまりにも奥行を欠いた私の視点など
木っ端みじんにする勢いで、
彼(?)はその役割を立派に果たしていたというわけなのだ。
ホームページの情報によれば、玉屋さん、
「昭和32年創業 鳥ガラベースの澄んだスープ」
とのこと。
そんなことはともかく、
また、幼少期のトラウマなどもうどうでもいいので、
近日中に玉屋さん突入を果たそうとしているこの気持ちを、
どうにも抑えることができない。
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★十条 富士見銀座商店街
http://www.fujimiginza.com/
3月6日土曜日。
明るいJ村駅から南東へ約10Km、
お江戸両国亭にて、
http://www1.odn.ne.jp/~engeijou/ryougoku.html
二つ目の田辺一乃(かずの)さんの講談の会。
http://blogs.yahoo.co.jp/tanabe_kazuno/31249751.html
才気を感じさせる前座・田辺銀冶(ぎんや)さんと、
さすがの真打・田辺一邑(いちゆう)先生に挟まれ、
一乃さんも奮戦。
本番の3日前に仕上がったという
新作「奥尻島青苗郵便局」と、
古典「見えたか甚兵衛」を熱演。
特に力を注いでいるように見えた新作は、
まだまだこれから作品として成熟していくだろうし、
一乃さんが人間に注ぐ眼差しの温かさや人間への信頼感は、
もっともっといい形で前面に出てくることでしょう。
次の高座が楽しみなり。
*
講談の会に引き続き、
両国の駅前で打ち上げの宴会。
この席は一乃さんのお心遣い。
美味しく楽しく一時を過ごさせていただいた後、
友人のS河氏とその娘さんのIちゃん、
私Sと職員YでJ村へ帰還。
J村切っての老舗、
カウンター・バーの「アルビオン」へ。
3年前のちょうど今頃撮った写真をご覧ください、
こんな感じの店構え。
職員Kの姿が手前に写ってます、
店の玄関先にはKを手招きするマスターが、
3年前、Kは何か忘れ物でもしたんでしょうか?
4人で奥のカウンター席に腰を落ち着け、
Iちゃんと職員Yはお通しのチョコレートと、
ここの名物チーズケーキを楽しむ。
S河氏と私、1杯目はドライ・マティーニ。
同じく3年前の写真です、
マティーニのグラスの向こうにぼんやり写っているのは、
この店の二代目の若旦那。
銀座のバーでみっちりと修業を積んでから、
アルビオンへ帰ってき、
マスターのお父さんを助けている。
今では飲み物はすべてこの若旦那がお世話してくれます。
マスターは常連の接客とおつまみの料理を担当。
実はマスターは下戸、
もともとこのお店も喫茶店として始めたのだとか。
マスターの料理へのこだわりとの腕前は相当なもの。
名物のチーズケーキも、
このマスターあればこそ口にできるというわけ。
「これはすごい!おれが今まで飲んでいたマティーニは何だったんだ・・・」
S河氏、一口飲むなり歓声を上げる。
確かに美味いんですドライ・マティーニ、
一口含むとしゃんと背筋が伸びるような辛口。
蛙の子は蛙じゃないですが、
アルビオン二代目が飲み物に注ぐ情熱も腕もすごい。
2杯目は、マンハッタン。
3年前の写真を見ると、
飾りのついた丸っこいグラスですが、
今ではドライ・マティーニと同じ、
細身のショートドリンクのグラスを使っています。
ここのマンハッタンには、
昔の菓子パンに載っていたような
透明感のある真っ赤なチェリーじゃなく、
チェリーのブランデー漬けが入ってます。
「んまい・・・」
私も、一口やって思わずつぶやく。
ドライ・マティーニの白とマンハッタンの赤。
アルビオン「紅白セット」はJ村の自慢。
そしてこの日、店の玄関先にはこんな看板が。
洋酒やカクテルのアテにもなる濃厚なチーズケーキ、
明るいJ村役場でも、ホールで頼もうかな・・・
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★Albion’s Bar
http://www.fujimiginza.com/koten/albion/albion%20bar.htm