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J村幻視

2009年2月某日、午後。

958db33b.JPG







村の中を歩きながら、この写真を撮りました。
 
子どもの頃。

私にとって村は、
母方の祖父母の実家がある場所でした。

昭和40年代後半のことです。

村のバス通りからは網の目のように細い路地が伸び、
長い時間をかけて踏み固められた
路地の湿った黒い土の上には、
不揃いな敷石がでこぼこと並んでました。

体が小さくおっちょこちょいだった私は、
敷石の出っ張りに足を引っ掛け、
よく転んでましたっけ。

で、そういう細い路地はもちろんのこと、
太い通りのあちこちにも、
こんな感じの木造の家が、
まだいっぱい残ってたんです。

C県K市にあった新興の団地で、
両親と妹と4人で暮らしていた私にとって、
J村は一大アミューズメントパークでした。

休日、電車に乗って遊びに来るたびに、
祖母からお小遣いをもらい、
妹と一緒に近所の駄菓子屋へ走る、
J村銀座商店街のおもちゃ屋へ走る。

目当ての場所までの道すがら
よその家の庭に面した、
猫ション臭い路地を抜けるとき、

 「とお~らせてくださあ~い!」

妹と2人、声をそろえて言うと、
座敷の奥の暗がりから、

 「・・・はい、どーぞー」

と、くぐもった小さな声が聞こえてきたものです。

祖父母の家は古い文化住宅でした。

玄関脇に洋間が1つだけついた木造和式の平屋。

背の低い板垣で路地と隔てられた、
広い土の庭がありました。

庭の片隅には手動のポンプ式井戸があり、
当時すでにぼろぼろに汚かった木製の物置があり、
大きな柿の木が3本ありました。

夏にはそこで花火をします、縁側でスイカを食べます。

お風呂は祖父が薪で焚いてました。

庭先で祖父の薪割りにちょっかいを出したり、
一緒になって風呂釜の焚口に薪を放り込んだりするのも、
普段、2DKの間取りの明るい団地に
暮らしている小学生にとっては、
貴重な楽しみの1つでした・・・

あれから30年以上の時間が経ち。

おじいちゃんもおばあちゃんも。

あの懐かしい家も風景も。

ぜんぶこの村から消えてしまいました。

時にはこんなふうに、
1枚の写真をよすがにして、
思い出してみるのもいいものですね。

20090219

J村役場職員・S

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