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村々のトマソン

今日は、明るいJ村から、
ほぼ真西に300㎞ちょっと行ったところにある、
福井県F村の友人からメールが届きましたので、
まずそちらのご紹介から。

*********************

F村からのレポートです。

全国植樹祭の準備に追われる
村の横顔を追ってみました。
http://60shokujusai.pref.fukui.jp/



【家拓?】


開通を待つ踏み切りは、まだひと気がなく

あたかも撮影を待つ映画のセットのように

ひっそりとたたずんでいます。

65ee2443.jpeg





もう数日経てば、人の流れも変わり

真新しいアスファルトに足あとやタイヤの影が

敷き詰められるようになります。


その傍らに面影を見つけました。

b1b2fd8a.jpeg









ハウルの動く城のごとく忽然と消えた家。

ずいぶんと永い年月、体を寄せ合うように

並び建っていた家も立ち退いて、

今では駐車場に様変わりしたようで、

魚拓のようにくっきりと浮かび上がった輪郭が

生まれ変わり続ける街の表情を

そっと伝えてくれています。


今頃、動いた家はどこにいるのでしょうか?

いっそのことお隣さんに聞いてみようかと思います。


★F村役場嘱託職員・M拝

*********************

Mさんの目玉がF村の路上で捉えた「家拓」。

整ったブロックの升目と、
「家拓」の三角屋根の頂点の線にぴたりと沿って、
ビルの壁も一緒に突き出しているあたりに
大変味がありますね。

ところで・・・

この「物件」、
赤瀬川原平さんの「トマソン」がお好きな方なら、
大変なじみ深いものがあるのではないでしょうか。

  トマソンの語源は、
  東京読売巨人軍元選手ゲーリー・トマソンに由来する。
  トマソン選手は、元大リーガーとして移籍後1年目は
  そこそこの活躍を見せたものの、
  2年目は全くの不発でありながら
  四番打者の位置に据えられ続けた。
  その、空振りを見せるために
  四番に据えられ続けているかの様な姿が、
  ちょうど「不動産に付属してあたかも芸術のように
  美しく保存された無用の長物」という超芸術の概念に
  ぴったりだったため名称として採用された。
  (※ウィキペディア20090605より)
  

さまざまな種類のトマソンが存在しますが、
Mさんが発見したのはこちらのタイプ。↓

 【原爆タイプ】
 
  平面状のトマソン。

  建物などの痕跡が、
  壁にシルエット状に残っている物件。
  密集して立てられていた建物群の一部が
  取り壊された場合などに出現する。
  (※ウィキペディア20090605より)

原子爆弾が瓦礫の壁に焼き付けた
悲しい被害者の影に形状が似ていること、
町の破壊と再構築の動きと密接な関係があることなどから、
確かこの名がついたように記憶しています。

  「J村にもあるかな・・・」

Mさんからのレポートを拝見した後、
意識しながら私も歩いてみました。

ありました、同じタイプのトマソン、こちらです。

21175c50.jpeg







どうでしょう、
少し不思議な感じがしませんか?

トマソンの中央部をご覧ください、
ビニールパイプが上下に走っています。

F村のトマソンとは違って、
物件の表面には窓もいくつかあります。
換気扇らしきものも見える。

ということは。

取り壊された建物と、
トマソンの貼りついたビルの間には、
あらかじめ、わずかな隙間があったことになります。

これは推測ですが、
おそらく残ったビルの方が
後から建てられたんでしょう。

しかも隣の建物ぎりぎりに建てられため、
壁面のこの部分だけ
最初から塗装ができなかったのではないでしょうか。

つまりトマソンと、
トマソンが貼りついたビルは同い年、
このビルは、
最初からトマソンを貼りつかせたまま
生まれてきた可能性が高いです。

完成後、
長い間人目に触れぬままひっそりと遺跡化し、
ようやく発見されたトマソン。

古代史ロマンの香りさえ漂ってきそうな雰囲気です。



もう1つ、
これは昨年の9月にJ村の北隣、
A村の台地を歩いている時に発見した物件。

f461ec29.jpeg







トマソンの表面上に
換気扇のカバーが突き出していることから、
この物件が貼りついたビルも、
取り壊された隣の建物よりも
後に建てられたと考えられます。

建物と建物の間には、
隙間もあったことでしょう。

ただ、このトマソンは、
隣の建物を取り壊した後、
トタンによって綺麗に覆われて
完成したのでしょうから、
J村の「あらかじめ失われた古代遺跡タイプ(?)」物件とは
いささか事情が違います。

それにしても・・・

取り壊された建物の屋根の傾斜に
沿っていたと思われるヒサシ状のパーツといい、
トタンを貼った後で取り付けられた
牛乳入れといい・・・

隣村ながら、いい仕事してます、はい。^^



赤瀬川原平さんが「トマソン観測センター」を組織して、
路上に乗り出したのは1980年代初頭、
今から約25年前。

その後、、、

  藤森照信らの建築探偵
 (古い市井の建物の観察・分析・コレクション)、
  林丈二のマンホールその他路上のもろもろの蒐集、
  南伸坊のハリガミ採集分析、
  一木努の建築破片収集などの
  路上にまつわるコレクションの活動とブッキングされて、
  筑摩書房から路上観察学入門という本が出版され、
  それに合わせて1986年、
  学士会館で路上観察学会の発足式と称した
  イベントが開催され、記者会見などを行なった。
  (※ウィキペディア20090605より)

お手紙を頂戴してからお尋ねしたところ、
F村のMさんはトマソンをご存じなかったそうです。

赤瀬川さんたちの仕事に
私が親しんでいたのは大学生の頃。

同じ頃Mさんは、
まだ中学生になるかならないかというところ。

知らなくても不思議はないですね。

ま、そんなことはともかく。

村の姿を真正面から眺めず、
ななめに眺めて
愛しみ楽しむ目玉と出会えるのって、
素直に嬉しいです。

Mさん、楽しいお便りありがとうございます。

また何か見つけたら、教えてくださいねーー。(^^)

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★ウィキペディア「トマソン」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%BD%E3%83%B3
★『超芸術トマソン』(赤瀬川原平・ちくま文庫)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480021892/

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